「愛を乞うひと」を見て子どもを虐待する親に対する意識がちょっと変わった
どーも、いっしーです。
下田治美さんの小説「愛を乞うひと」がテレビドラマとしてやっていたので見てみたんですが、親が子どもを虐待することに対しての意識がちょっとだけ変わりました。
※ネタバレあります
「愛を乞うひと」のあらすじ
まず簡単にあらすじだけ書きます。
本編の主人公、山岡照恵の現在(篠原涼子)と幼少時代(鈴木梨央)の話が交互に出てくるんですが、山岡照恵の弟の和知武則(ムロツヨシ)が警察に捕まったとのことで山岡照恵に連絡がいきます。
そこで弟との再会をきっかけに亡くなった父親の遺骨を捜すという話です。
ただ、弟と会ったときに娘の山岡深草(広瀬アリス)に自分の過去を話すんですが、山岡照恵は母親の陳豊子(篠原涼子)からすごく虐待を受けていたんです。
すごくざっくりです。
今までの子どもを虐待する親に対しての意識
自分の子どもにストレス発散のために暴力を振るったり、ほんとに子どもが嫌いで出来てしまったから生んだだけで、全く愛情が無いから暴力を振るうとか、そういう親としての意識が無い人が子どもに暴力を振るってしまうのかと思っていました。
そしてそういう親は人間としてクソみたいな人だと思っていましたが、ちょっとだけ意識が変わりました。
「愛を乞うひと」を見て変わった意識
作中の陳豊子はほんとに暴力ばっかりで見てても結構しんどくなるシーンはありましたし、自分だけ豪華な服を着たり、わがままに生活しているので性格自体は悪いと思いますが、山岡照恵を生んだときはすごく可愛がっていて幸せそうでした。
しかし、なぜ子どもを生んで幸せな人が虐待してしまうのかという点なんですが。
作中で陳豊子は「どうやって愛すればいいのかわからない」と言っています。
子どもの愛し方が分からない親。
そして陳豊子をよく知る山岡照恵の父親・陳文英(上川隆也)の友人の妻・許はつ(木村多江)が「豊子さんも親から愛されたことが無いんだと思う」と言っているんですが、これを聞いたときにすごく納得しました。
親に愛されたことのない人は自分の子どもの愛し方がわからない。
結果、歪んだ愛情になってしまうんではないのかな?と。
そう思うと子どもはもちろん可哀相だけど、愛情をもらえなかった親も可哀相だなと思いました。
全部が全部親が悪いんじゃなくて親の親にも原因があって、子どもへの愛情を知らない妻に愛情を教えるのは夫の役目でもあるのかなっとちょっとだけ子どもを虐待する親に対しての意識が変わりました。
最後に
今回はあくまでもフィクションの話なので、陳豊子のような親がいるのかわかりませんし、虐待する親は総じて自分の過去に愛情をもらっていないということでも無いと思います。
もちろん子どもが嫌いだったり自分の為に虐待するような親は全く可哀相ではないですし、子どもを施設に預けてあげた方が子どもにとっても幸せだと思います。
ただ、虐待する親を擁護するわけではありませんが、実際には愛し方がわからない親もいると思います。
虐待はいけませんし、原因は親にありますが、愛情をしらないってすごく寂しいことですし、虐待は親の意識じゃなくて過去の経験からくるものなのかもしれないと思いました。